下駄箱のラブレター

あれは何年ごろのことだろう

Jに会えなかった10年間の真ん中あたりだろうか

Facebookやツイッターもそれほどメジャーでなく、Jのブログも見つけられなかった時だと思う

インターネット上で誰かにメッセージを残せる『下駄箱のラブレター』というサイトを見つけた

Jに気持ちを綴った手紙を書いた

もちろんJが読むわけはなかった

なんて書いたんだろう私

サイトに6000通くらいの手紙が集まったくらいの時期に、コピーライターの人が何通かを抜粋して本を出版した

私の手紙もその6000通の中の1通だったはずなので、すぐさま本を買って自分の手紙が載ってないか探した

残念ながら載ってなかった

Jに届かない手紙
Jが読むことのない手紙
私は何通書いたかわからない

あるものはどこかで下書きのまま眠り
あるものはインターネット上で消え
あるものはゴミとして燃やされ…
封筒に入ったまま何かの下に挟まっているものもある
そうやって時が過ぎていった

『下駄箱のラブレター』はもう、インターネット上から消えている

瓶に入れた手紙を海に流す
とか
風船に手紙をつけて飛ばす
とか

そんなメルヘンチックなことも
全くメルヘンなことと思わずに真剣に考えていた時期もあった

とにかくJに会いたかった

ずっと

自分が連絡できないようにしたくせに
一つも忘れられず
自分からまた探した

Jを見つけ出せたことは奇跡だ
見つけ出せたのは事実で、本当に自分の人生に起こったこと

だから、見つけ出せた、ということに、大切な意味があるに違いないと思っている

そう「もし、Jに会わなかったら」の人生はない

Jを見つけ出して6年

私たちはどのくらい前に進んだだろうか
私たちはどのくらい6年前より深くなれただろうか

もうすぐ250回だよ
と今日Jに伝えた

私たちは再々会して250回デートした
一目会っただけでも
お泊まりの日も
カウントは1回

何回目のデートで
私たち
同じ家に帰れるかな

何回目か予想してみようか
それとも
何回目って決めてしまおうか

今はJにメッセージを送れるし
手紙も渡せるし
会うこともできる

下駄箱のラブレターみたいに
宙に浮いちゃう手紙なんて書く必要ない

だから
幸せ
あの頃よりずっと

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