26年前から気づいている
私たちの身体同士があらゆる角度でぴったりだということ
歩く時、普通は手を繋ぐけれど、そのうちにたまらない気持ちになり、Jは私の肩を抱き、私はJの腰に手を回す
私の左にかならずJは位置していて、私の肩はJの脇に、腰骨はJのどこかの窪みにすっぽりはまる
まるで2人がうまくはまるように骨格が設計されてるかのような完璧なフィット感
今だに驚く
フィット感を最も実感できるのは、AT
ATは大学生のころから数えきれないほどしてきたのに、何故かその素晴らしさや超特別感に気づいたのは最近
確かに、Jに会えなかった何年もの間に、ATした時の位置から見たJの顔を何度も思い出しては、泣きに泣いた
何故そのシーンばかり繰り返されるのだろうと思うほど、私の回想の定番シーンで、感触までもが鮮やかに思い出されていた
Jは、どうだったんだろう
私と会えなかった何年かでATを思い出して泣きそうになったりしたんだろうか
泣きそうになんてならないかな…
私が何度も思い出していたのは、感覚的にその特別感に気づいていたからかもしれない
Jは私の体重を重いと感じないと言う
恐らく隙間がなく全ての面が吸い付くように張り付くからだと思う
した瞬間、あまりの気持ち良さに必ず感嘆のため息
時間が経つにつれて二人の境目がわからなくなってくる
お互いの身体が溶け出して、混ざって一つになっていくような感覚
Jがとんでもなく自分にとって特別で、唯一の存在だと実感する最も愛おしい時間
ATは、私たちが生きる意味の一つに、間違いなくあげられることで、これから何十年も繰り返されることだとわかる
これがなければ、Jも私も、もはや生きていけないとまで思う
ATは神さまのプレゼントだとJは言った
奇跡的で神秘的
年老いてATした時、Jの骨が折れてしまうかもしれない…それでもいいよ、とJは言うだろう
逆にお互いに痛いところが癒されるかもしれない
私と同じように、Jも、私以外の誰との間にもATのようなものが存在しないことを祈っている
私たちは特別に結びついている
お互いをここまで欲するのは、この不思議な身体の奥から湧き出る強い衝動のようなものがあるからかもしれない
つまりJの言うように、本能の部分が呼び覚まされるということかなと思う
本能に率直に生きるのは、動物的であり、人間としての品位が落ちると一般的には思われるだろう
しかし「人間の品位」って一体なんなんだ、と思う
本能をひた隠しにしスマートに生きることが、品位ある幸せな人生なんだろうか。。
人間的、という言葉の定義もつくづく謎である
本能を無視して理性をフルに働かせて生きるのが人間的?
それとも…
理性と本能をバランスよく持つのが人間的?
とにかく人間は面倒くさい
本能だけで生きられる鳥になりたいといつも思う
何もかも、これでもかというほどに複雑
そんなこと言ったら、こんなことをぐちゃぐちゃ書いたりしてることも、もうカオス
あらゆるものが入り混じり、複雑になりすぎてるよね、人間
シンプルに生きたい
ただ好きだから一緒にいる、それでいい…
話が逸れてしまった
私たちは、お互いが惹かれ合う理由の一つに動物的な何かが含まれることに気づいている
もちろん人間的に惹かれ合う部分もたくさんある
とても繊細な部分ね
それはある意味、人間同士にしかわからないことかもね
優しい言葉や思いやりある行動や…そういうもの
やっぱり人間でよかったのかな…
昔、公園のテーブルでJが数学を教えてくれた
私は、そういうJが異常に好きなんだといつも思う
Jの魅力について考えるとき、何故か思い出す光景…
マニアックにJが好きすぎて、私、たぶん側から見たら変な人だと思う
変でも構わない
私はJが好きなんだ
Jの行動や言動に悲しむことは数知れなくあるけれど、それでも変わらずJを愛し続けているのは、理屈抜きに、Jという人間そのものが異常に好きだからだと思う
Jも私の言動や行動に傷ついてきたと思う
なのに変わらずに私を愛し続けてくれてるのは、私と同じ理由からかもしれない
二人共が、一緒にいるだけで心身共に満たされる
いつも会うたびそう思う
それだから将来は、本当に最低限の慎ましい生活でいいんだ、と思える
実際は多くのお金が必要なのだろうけど、
自分たち二人は一緒にいられたらそれでいいって…
Jがいれば
Jがずっと私のそばにいてくれるなら…
それでいいよって思う
私たちぴったりなの、J
だから、二度と離れちゃいけないよね
「どう生きていくか」は、「誰と生きていくか」だよね
一番大事なものを、一番近くに…
Jの好きなペイネさんの絵のようにね