昼休みだ
音響機器の修理対応で一人でおそ昼
駅地下のドトールに入った
甘い宇治抹茶ラテを飲む
あと、何日今の会社に出社なのか数えていないが、有休消化もあって意外に少ないだろう
改めて思った
私は結構強いのかもしれない
この歳で、1ヶ月半の活動で正社員になれた
頑張ったんだ、私…
いろんな人の手助けやアドバイスがあってこそだけれども
みんなタイミングよく私を助けてくれた
感謝している
年末、Jのことで力尽きていていたので、就職活動は年明けから心機一転頑張ろうと、心に決めていた
自分を奮い立たせ、気持ちのコントロールをするために何冊かの本を読んだ
友達に連絡し助けてもらいながら、何とか、Jとの予定が1日もない最悪の冬休みを乗り越えたんだった
いざ新年の幕が開けると、一気にやる気モードに入った
そう、私はいつも、どんなに厳しい事態もJの力を借りずに乗り越えてきた
今回も例外ではないだろう
自分のこと以外考える余裕がない、自分のことで精一杯だ、ということは、私が何をしてようがどんな気持ちで過ごしていようが、Jの関心は及ばないということだろう…
そうとわかっていても、何か衝撃的な苦しみがのしかかった時に、なぜJがいつも私の手を離すのか、私は不思議でたまらない
というか寂しすぎる…
今、手を離して、それでいいんだ…
こんな状態のままでいいんだ…
私の存在って一体…
って思う
昔から同じ
「Rは俺の人生だ」と言うJはどこに行ってしまうんだろう…
今日は指輪を左手の薬指にできなかった
土曜日の傷が全く癒えてないのと、自分がJにとって一番大事な人だと全く実感できないからだ
将来、必ず私と一緒になるんだという、Jの強い意志が感じられず、いまだに奥さんとの絆が強く感じられるからだ
「病気して手術したからしょうがない」は、果たして理由にしていいものか…
私はそんなこと知らない、そんなこと考慮して気遣う余裕なんてないんだ
この酷い状況が死ぬまで続くかもしれないと思わざるを得ない…こんな震えるようなことばかりが重なっては、希望が持てなくなってくる
そんな風に弱っていってる私のこと、Jは気づいてるのかな
奥さんは指輪をしている
それは、Jは私の夫だという、確かな事実の発表である
自分が連絡すればいつでもすぐに折り返し電話をくれるぐらい、いつも繋がっているんだという確信の現れである
私がJにもらった指輪は、婚約指輪でも結婚指輪でもないのかもしれないと思った
私は昔からJとの結婚を夢見ているけれど、その夢を叶えてあげられないかもしれなくて、可哀想だと思い、せめてその夢を形にしてくれたのかもしれない
指輪って幸せの象徴
私は幸せなんです、優しい夫がちゃんといて守られてるんですって言ってるようなものだから…
何の自信も確信もなくて、薬指にできない…
何でこんな風にグラグラと不安定なのか
この歳で、一体何をしているんだろう
完全に人生は半ばを過ぎているというのに
もう、腰を据えてしっかりとした中で、生きていきたいと、思ってる
ぐらつかず、芯の通った人生を歩みたい
自分の行動全てに責任を持ち、誠実に生きて、死ぬ時後悔しないようにしたい
Jはそう思わないのかな
もう、迷ったり流されたり「わからない」とか言ってる場合じゃない、って思う
そんなこと言ってる間に、あっという間に人生が終わるんだ、って思う