毛織物を織る生活に憧れる

毎日毎日、朝も早くから目的の電車目指して、足早に向かう群衆。都心まで箱詰めされて運ばれていく。ごった返して殺気立つ駅から会社まで、ありんこみたいに列をなしていく。 皆無言、無表情、無感情。

朝から晩まで、息つく間もなく働きづめ。夕方にはよれよれになり、どんよりとした空気の通勤電車に揺られて、死んだ魚みたいな眼で帰る。帰宅後は何もする元気がない。

精一杯働いても、頭が悪いとか、要領が悪いとか、もっと早くできないのか、と蔑まれて評価なんてされない。しょぼくれて自分を卑下し、格差社会だと嘆く。会社勤めをする限り末端で働く運命としか思えず、虚しくなる。給料は50年近く生きていながら、平均初任給にも満たない。人間の価値は日本にいる限り、学歴や職歴、頭の良し悪しで決められてしまう。もっと他にないのか。私みたいなロースペック人間は全く生きづらい世の中だって思う。

少し前にたまたま母が観ていた「世界街歩き」のような番組で、どこか北欧の街が紹介されていた。小さな村で、家族で毛織物を手織りして、それを売って生業としている。庭でおじいさんが毛糸を紡ぎ、部屋では女性が綺麗な色合いの素敵な毛織物を織っている。代々受け継がれた製法で、伝統的な柄を丁寧に織り込む。家ではおばあさんが若い時に織ったベッドカバーが何十年も大切に使われている。素晴らしい織物を織ることができるおばあさんを娘を尊敬していて、おばあさんは自分の作品に誇りを持っている。

そこには、血の通った人間らしい暖かな生活があった。とてもシンプル。そして皆幸せそうで穏やかな表情。これだよなあと思った。こんな風に暮らすのが理想的だと思った。人生大分違うだろうな。私もこの毛織物の街に生まれたかった。

とにかく会社の事務仕事が私には合わない。私の力が発揮される場所は明らかにここではないと感じている。少しでも自分の好きな分野に関係したことを仕事にできないものかと思う。

難しい。お金を稼ぐって、難しい。

納得いく文句ない仕事なんて、全く見つからない。

私、本当は会社の仕事なんてしたくない。

愛する人の妻として評価されたい。

愛する人に、いい奥さんだねって、評価されたい。

奥さんとしてなら、きっと私いきいきと活躍できるのにって思う。そして上手くいくなら毛織物みたいに何か作る仕事を見つけて、コツコツ出来たらいいのに。

毛織物がやたら頭に残ってしまった。

今日も、何にも抗えずに、だるいまま会社に向かう電車に乗っている。人身事故で遅れているから混んでいる。他人と1ミリも接触したくないんだ。ぎゅーぎゅー押すんじゃない。

椿屋四重奏だけが救いだ。音量を上げて、集中するんだ。

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