普段、あまり若い人が羨ましいと思わないのだけど、昨日はとても羨ましく思った
地元には落ち着いたカフェがほとんどないのだけど、昨日入ったカフェはチェーン店ながらも意外と静かで過ごしやすい雰囲気だった
ほとんどの人が自分より若い
難しそうな勉強をしていたり、読書してたり、PCを開いて何やら打っていたり、ノートにガリガリ何か書いてたり、思い思いに過ごしている
この人たちはこれからどんな風にも人生を歩んでいけるんだなと思った
そこにとてつもない可能性や素晴らしい世界の広がりを感じたのだった
私は大したこともせず、こんな歳になってしまった
しかもこんな状態で、なにもかも滞ったまま先の展望が抱けずここに座っている
前途洋々の若者に囲まれて、少し惨めな気持ちになった
私の漠然とした人生設計図によると、この歳なら経済的にも精神的にも安定した生活を送っているはずだった
この状態は最も自業自得だが。。。
友達と家の話になり、一軒家に未だかつて住んだことがないと話す自分が何だか悲しかった
別にマンションより一軒家のほうが素敵だとか偉いとかないんだろうけど、私にとって一軒家は憧れの一つなのかもしれない
確固たる幸せの象徴であるように思えるからだろう
どう考えても憧れを抱くには遅すぎる
これから理想の一軒家に住める可能性なんて、限りなくゼロに近い
私の歳なら一軒家に住んですでに10年以上経ってるのが普通だろう
Jがそうであるように。。。
その長年の積み重ねがあるところに、私の出る幕はない
Jの日常に私が入る余地はやはりないんだと思う
家という単位はものすごい強力なんだ
私の存在は、結局Jの何も揺るがすことができない
心満たされながら、お庭のお花を手入れしたりすることが、私がイメージする「幸せいっぱいの生活」だった
スプレーバラのアーチをつくり、くぐりたかった
季節の花をたくさん植えて四季を楽しみたかった
実がなる木を植えて収穫してみたかった
小さな野菜を育て、それをサラダにして食卓に並べたかった
雪が降る日は、暖かい飲み物を飲みながら2人仲良くお庭を眺めたかった
もう人生半ば過ぎ
そんな乙女なことを言っている場合じゃない
残された人生、なるべくなら幸せを感じながら穏やかに過ごしたい
お手入れするようなお庭がなくたって
私の生活がこんなふうになったのは、自分自身の行動のせいだから、仕方ないことだとわかってる
何というか、思うようには事は進まないのだ
自分の気持ちも他人の行動も周りの状況も、ほぼ何一つコントロールできるものはない
そして希望は希望でしかない
何も現実になんてならないのだ
希望や期待は持たないほうがいい。。
改めてそう思う
なかなかに厳しい
自分がこの先どうしていきたいかがわからないのはとても深刻なことだ
2020年中にきちんと考えよう
ぼんやりとしたまま新年を迎えたくないとつくづく思う