『あした死ぬかもよ』の抜粋

2020年の手帳の最後のほうの、メモできる場所に黒字で全部に赤の下線が引いてある殴り書きがあった。

それは『あした死ぬかもよ』という本から抜粋した文章で、何度か書き写している文章。もしかしたらここにも昔書いたかもしれない。。

しかし、何度読んでも心に沁みるし、そうだそうだってハッとさせられる。今回も同じように感心したので、またここに書こうと思う。

今までしてこなかったことを、明日するわけないじゃん

変わりたいって言うけれど、今を捨ててまで変わりたくないんだろう?

心の準備、百年したって、できやしない

本気でやろうと思えるものを探しているうちに、人生終わる

今やっていることが、きみがいちばんやりたいこと

問題は、どれも本気でやらないこと

大阪行きの新幹線に乗りながら、何で青森に着かないんだ、なんて思っている。そのうちにぐるーっと回って着くだろうと思ってるかもしれないけど、着かないんだ、絶対。で、駅弁食べてビール飲んで、こんなのもいいかなあなんて悟った気になって一生終わる。

思っていることは、思っていることで、思っていることにすぎない。でも思っていることも漬け物みたいにずーっと漬け込んでいくとリアリティをもってくる。人はそれに潰されていく。

きみがどう言ったかではない、相手がどう受け取ったかだ

相手の出方はどうであれ、きみはどうするんだ?

ダイエットする象なんていない、パンダらしく振る舞おうとしているパンダなんて見たことあるか?おまえはおまえらしく振る舞うしかないだろう!

忘れられないんだったら、せめて視点を変えようよ。自分を変えない。相手も変えない。見方を変える。

何を思うかではなくて、何をやっているか。やる気ではなく、やること。

いま、その問題と付き合う体力と気力がないのなら、いまはそれを脇に置いておいても大丈夫。誰も責めやしないんだから。あなた以外は。

わたしは生きている。この人も生きている。これこそが奇蹟なんです。

あなたが正論を言えば言うほど相手は苦しくなる。

あなたがからだ全体で感じていること、あなたのインスピレーションを信頼していいのです。それが世界でいちばん信頼できる答えです。

えらいたくさんメモしたなあ。。もはやメモじゃない。打つの疲れた。

しかし何度読んでも響くなあ。。

すぐ忘れちゃうから、般若心経みたいに毎日唱えたらいいかもね。

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