Jが、たまたま図書館で手に取った本の登場人物が、読んでいるうちにJとRに思えてくるよ、と教えてくれた。
Amazonで中古が出ていたので即注文して、何日かかけて読んだ。
作品自体は言い回しが少々まどろっこしいし、背景の描写のボリュームが大きすぎて、私の好みではなかったが、確かに後半、登場人物の二人がJとRのように思えた。
作者はきっと同じような体験をしたのだと思う。間違いなく実感が伴っていないと書けないようなことだと思うから。
ラストの女性が年老いてアルツハイマーになり妄想する姿は、自分もそんな風になる気がして寒気がした。
抱き合って、境目がわからなくなり溶けて混じり合うような感覚は、特殊な体験だと思う。ぴったりと合う「形」を見つけるということも。
私は2018年3月に「命を削るということ」という文章をここに書いている。Jとの間に起こる、何もかもを超越したような感覚について。まさにそのことを恐らく作者は言っている。思い出して、読み返してしまった。
そういうことに気づいていながら、2人が一緒にいられてないのは、この世の中が二人きりの世界じゃないからだ。いろんな存在や現実が、そんな宝石のような時間を押しのけてしまう。
ほとんどの人がそういう体験を共に分かち合う相手に巡り合っていないように思えるし、せっかく巡り合ってその素晴らしさを確信しているにも関わらず、私たちのように様々な事情や思惑のせいで一緒にいられない人もいる。ほんのひと握りの人だけ、すんなりと結ばれて一生添い遂げられるのだろう。
出逢えたということだけでも、喜ばしいことなのだろうと思う。短い人生の中で、この瞬間がずっと続いてほしいと思うことなんて、ほとんどないのだから。。
抱き合って幸せのあまり涙が出て止まらないなんて、そんなことがあるんだよなあと、改めて思う。小田代原での体験も同じだろう。
まず、普通に生活していてそんなことはあり得ない。言葉で説明のつかない神秘的な何か。つまり現実から逸脱しているのかもしれない。
Jと一緒にいる時だけ、体験できる不思議な感覚。魔法にかけられたみたいに。
いろんな恋愛があると思う。どれも嘘じゃないだろうし、どんな恋愛が理想的なのかもわからない。
わからないなーと思いつつも、超閉鎖的な二人の世界で、二人にしかわからない奇跡的な体験をし、そういうことを大切に積み重ねていく人生っていいなと思う。
本気でそういう人生を目指して頑張ってきて、もう少しで手が届きそうだと思っていただけに、意外にも自分のほうが苦しみに耐えかねて潰れたことは悔しく、虚しい。
思うように物事は進まないし、気持ちも複雑すぎて、シンプルで根本的な愛や欲望や幸せを押し通せない。
相手への素直な恋心だけを持って、穏やかに優しい気持ちで生きられたらどんなに幸せかと思うが、それはとても難しいことなのかもしれない。
現実は混乱を極めている。
お互いの全ての関わりを、広い心で許し合い、仲良く共有して生きることなんて、どうしたらできるんだろうか。